はぐれ学生、ネオコンプリート?

背景

この記事を書こうかなと思ったのは、
はぐれ学生 Advent Calendar 2013 - Adventar
というアドベンターカレンダーな企画があり、私は、1浪人1休学1留年という、ある意味はぐれ学生をコンプリートしかけている気がしたので、物陰から機会を伺ってた所、空きが出たので華麗にズサーッと滑り込みました。
いままでの人生の途中経過みたいな感じで書こうかなと思います。

自己紹介

 先に述べたように、私は1浪人1休学1留年してます。2007年に明治大学理工学部情報科学科に入学し、普通の人より3年遅れで2013年に卒業しました。6年間大学にいました。現在は、学生時代におこした会社でお仕事をして細々と生きてます。がんばってます。
 もちょっと詳しいことはここに書いてあります。金髪ですね、やばいですね。いまは落ち着いて、茶髪でひっそりしてます。

高校転校期(2005年)

 実は高校時代からはぐれてますw。高2まで私立女子高にいたのですが、友人関係が原因で、高3で通信制の都立高に行きました。高2の12月あたりから学校に行かなくなり、期末テストだけ受けるという特別処置を受けました(出席は3分の2以上でいいので足りてました)。で、通信制に行ってからは、週1日授業受けに行き、月2回レポートを出せばいいので、私の場合、必要な履修単位が6単位しか残ってなくて、ある意味ラクでした。引きこもり期の始まりでもあります。
 もし高校で転校しようと思うのであれば、「高等学校」と名前がつく所にいかないとだめです。それ以外の名前のとこに行くのはあまりおすすめしないです。いわゆるサポート校とかいうとこですね。自分でできない人はいいですけど、自分で出来る人は都立高校で十分ですし、学費が明らかに安いです。高2の終わりあたりの時は、転校先を自分で探してました。私立でも高等学校であれば、いい感じだなーと思う高校は結構ありました。
 高校時代は、パソコンいじっている系女子で、自分のホームページとか作ってました。Flashの全盛期でもあり、自分でもちょっといじってました。今の自分があるのは、ここが原点かなーと思います。なので、大学の専攻は、情報なんちゃらがつく学部しか見てなかったです。

浪人期(2006年)

 高3の時は引きこもってたこともあり、センター試験だけ受けて、浪人生に突入しました。夏休みまでは遊ぼうと開き直り、ネットを徘徊してたところで偶然見つけた劇団で、Web制作と劇団運営のお手伝いをしてました。IT劇団と呼ばれてました。楽しかったですし、受験勉強はしたくないのに、こういうとこではちゃんと外出できてました。
 一応浪人生なので、入試も受けてました。春に受けた筑波大のAC入試は全く対策しなかったので、一次選考で見事に落ちましたが、秋に受けた明治大学AO入試は、予備校の先生に推敲してもらったり対策したので、受かりました。自分に合ってる入試で、ちゃんと対策すれば受かるなと気づいた瞬間でした。ここで書いてた夢がひとつ実現しました。

休学期(2007年-2008年)

 晴れて大学に入学したはいいものの、大学行きたくない気持ちが発動し、1ヶ月ぐらい行ってから全く大学に行かなくなり、ひどいときは1週間ぐらい家に引きこもってたので、病院に行ってたこともあり、大学1年の半ば辺りで1年間の休学申請を出しました。Web界隈からも離れ、某グッズショップでアルバイト三昧をしつつ、家ではゲーム三昧をしてました。やはりここでも、大学は行きたくないけどバイトでは外出できるという状況でした。
 休学から復活し、大学1年生は2回目ですが、新入生説明会にひょっこり混じってましたw。前期はちゃんと行ってたのですが、また後期で少しだけ引きこもりグセが復活してました。友人にノートや過去問を借り、取れるとこだけは単位をとってた感じです。友人に感謝しかありません…。あと、ここで少しWeb制作のお手伝いとかしてました。が、迷惑をかけまくってた気もします。ごめんなさい…。

留年期(2009年-2010年)

 大学2年生には休学していなければ自動的に上がれるのですが、3年生になるには、必要単位数を取得していなければなりません。この頃になってくると、周りのやさしい友人にも囲まれ、ほぼ復活していたのですが、学校に行かないことが多く、単位計算はだいぶ余裕を持っていたはずなのですが、1単位足りず、2回目の2年生を送ることになりました。だいぶ落ち込み、本当に単位足りないのか確認したり、親に、最後の1年は学費払うから!と、頼み込んだり、色々大変でした。
 というわけで、2回目の大学2年生。3年生の授業は受けられなくてヒマなので、大学は週2日ぐらいにしつつ、アプリ開発会社で時給が出るインターンとかしてました。そこで作ってたのがこれですね。最初はガラケー開発のお手伝いをしてたのですが、その開発が一段落した頃に、「iPhoneアプリをなんか作ってみない−?」と言われ、よぴたワールド全開なアプリ作りました。プログラムコードのちゃんとした書き方とかを、ここで学んだ感じです。
 色んな勉強会に行って、色んな人の話を聞くのが楽しくなってたのもこの時期です。前から気になってた研究室にもひょこひょこ遊びに行くようになりました。「人」との関わりがどんどん増えていきました。

通常モード(2011年-2012年)

 大学3年生になり、ようやく通常モードになります。授業もみっちりむっちりです。7月から研究室にも配属されました。留年期に遊びに行ってたとこです。それを期に、インターンもやめました。5月ごろ、研究室の先生に相談したテーマが、私の2年間の研究テーマになります。10月の学会に初の論文を出し、9月に未踏に書類を出し、12月と3月の学会にも論文を出し、授業もみっちりで、書類に追われ、よくわかんない感じになってました。留年期のこともあり、学校に集中するようになって収入もなくなり、未踏に通んなかったらまじで収入と学費どうしよう…、という綱渡り状態でした。
 とはいえ、1月に未踏通過の連絡が来て、その後7ヶ月間、提案したシステムの開発に勤しむことになります。未踏は開発費がもらえます。本当に助かりました。学費と生活費の心配はなくなり、大学と研究に集中できるようになり、単位を落とすこともありませんでした。

就職できませんでした(2012年)

 4年生になり、7月までシステム開発を行い、成果報告会では動くものの発表を行いました。その後はもっと色んな人に使ってもらうシステムを作るために、会社を作って、バレないように開発を細々としていたのですが、ひょんなことから内定先にバレ、就職できませんでした。留年した時ぐらい落ち込みましたね。数カ月先が見えなくなったので、今の開発を一時停止し、数カ月後を見えるための開発に切り替えました。なにもかも初めてで、書類にわたわたしたり、開発期間を見誤ったり、色々と迷惑をかけていました。結局作ろうと思っていたシステムは公開直前まで行ったのにもかかわらず、お蔵入りになりました。
 とはいえ、ここで書いてた夢がまたひとつ実現していました。そういやここで起業したいとか言ってたなぁと。

そして放浪(2013年)

 大学は卒業しました。研究室の先生や、一緒に会社を立ち上げた人を含め、いろいろな方々に、本当に本当に迷惑をかけました。そして今、会社のお仕事をしつつ、放浪中です。日々勉強中です。

まとめ

 というわけで、はぐれまくってる学生生活でした。たぶん、こんなにふらふらできたのは、2回目の大学2年生まで、家がそれなりに裕福だったからだと思います。今はキツキツの状態になり、自分自身で生計を立てて行かなければならなくなってはいますが。
 全体で思うことは、自分でやったことは、いいこともわるいことも、そのまんま返ってくる、ということですかね。がんばってればいいことがかえってくるし、がんばってなければなにもかえってきません。単純明快だなーと思います。
 はぐれ学生は、なろうとおもってなるもんではないと思います。結果的にそうなっただけです。綱渡りとかジェットコースターとかがっつりあります。私は、受験勉強が嫌いだけど、色んな人との関わりは大好きだし、興味のあることにはひょこひょこ手を出す性格です。思うがままに生きていたらこうなった気もします。
 極論かもしれませんが、日本が崩壊しない限り、がんばってればなんとかなると思ってます。社会保障制度もたくさんありますし。日本のこの時代に生まれてよかったなぁと思います。
 あと、私は、人に恵まれることが多いのですが、今まで私に関わってくれた方々ひとりひとりに、本当に感謝しても感謝しきれません。。
 まだ実現してない夢はあり、自分の中で、「忘れた頃に夢は実現してる」っていう持論があるので、ゆっくりがんばっていきます。
 あまりまとまってないですが、途中経過報告みたいな感じでした。私の場合はそんな感じです。